10/05/2015

ウィーン訪問

またしても、すっかり投稿が遅くなってしまった。
今回は、アラスカではなく、9月に学会で行ったウィーンの写真をアップします。

ちょうど、私が滞在したときには、シリアからの難民がハンガリー経由でドイツなどに亡命するところであった。ウィーン西駅には、駅構内で寝泊まりしている難民の人たちもいた。

 市場の様子。

ウィーンにはなぜか公園にたくさん卓球台があった。大きな公園には、無料のトレーニング・マシーンも置いてあったりして、健康意識の高さがうかがえる。

Votive Churchという有名な教会らしい・・・。

 内装も荘厳だった。

 国会議事堂の写真。

町のなかには、カフェとバーが至るところにあった。学会でできた友人とともにカフェに入る。日本で有名なカフェ・ザッハーではなかったが、ここにもザッハートルテがあった。


4/01/2015

フェアバンクス教育委員会の訪問覚え書き

先日、日本から来た教育研究者の視察団の通訳をさせてもらう機会があった。 フェアバンクス市内の学校を訪問したり、教育委員会を訪れて貸し出し可能な教材を見学したり、サイエンスフェア(日本の自由研究発表がやや本格的になったもの)の観覧をしたりした。通訳すること自体、とても楽しいのだがーーうまくできているかどうかは別としてーー普段話す機会のない分野の人たちと議論ができるのが興味深い。

 以下に、視察報告書用の感想文(?)を転載してみる。敬省略

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本稿は、2015326日、27日におこなわれたアラスカ州フェアバンクス・ノーススター郡教育委員会(以下、フェアバンクス教育委員会と表記する)の訪問の際に見聞したことを文化人類学の立場から記述し、簡単な検討を加えることを目的としている。私は内陸アラスカのアサバスカン・インディアン社会を主な研究対象としており、2012年夏から継続的にクスコクイン川上流域のニコライ村において調査をおこなっている。そのため、本稿においては、ニコライ村が属するアィディタロッド教育委員会における取り組みとの比較も試みることとする。
アラスカ先住民のアート・キットの見学

犬ぞりキット
 アラスカにおいて、犬ぞりはとても人気のあるスポーツである。航空機やスノーモービルによる輸送が一般化するまで、犬ぞりは郵便配達や罠猟の際に利用された(Schneider 2012)。そのような歴史を反映して、アラスカでは犬ぞりレースが盛んであり、とくに2〜3月はほぼ毎週、州内で重要なレースが開催されている。
 フェアバンクス教育委員会の視察の際に、アィディタロッド長距離犬ぞりレース大会をテーマとしたキットを見つけた(KTL 798.8 IDI 1995Medianet # 118773/02)。この箱のなかには、犬のぬいぐるみの他、ポスター、多数の読本が入っていた。しかし、犬ぞりに必要な用具(ゼッケン、犬用の靴、タグライン、そりの模型)は入っておらず、このキットは伝統文化学習における座学での利用、もしくは国語の時間における利用が前提となっていることが予想される。フェアバンクス教育委員会において犬ぞり自体、もしくは犬ぞりに関わることを教えているか、その詳細、目的、効用などについてはこれから調査される必要がある。

アィディタロッド大会キットの見学

アィディタロッド大会キットのなかにあった読本
 他方で、私が調査をおこなっているニコライ村では、犬ぞりに関係する授業と言えば、そり用の犬を所有する家庭に放課後、子どもたちを派遣して、仕事を手伝わせるという形をとる。活動内容としては、犬用の餌の調理・配膳、薪の支度、糞の掃除、ゼッケンの着脱、練習走行などである。この活動は、犬ぞりの操縦技術、およびそれに関連する野外活動の技術を習得することを目的とするのみならず、子どもたちに勤労の大切さを教えることを目指している。この取り組みは2014年秋から始まったもので、新任の教師と犬の所有者である学校のメンテナンス係の信頼関係のもとに成り立っている。とくに、犬ぞりは飼育動物が介在する野外活動であり、参加する児童生徒、補助者および犬たちにとって、危険をともなうスポーツであることを考慮しなければならない。
 フェアバンクス教育委員会におけるキットの見学とアィディタロッド教育委員会における犬ぞり体験プログラムの観察を踏まえると、アラスカにおける地域文化の教材化としての犬ぞり学習がもつ可能性と難しさが浮き彫りとなってくる。キットのなかに犬のぬいぐるみや読本が入っていたように、犬ぞりは動物に強い興味を示す児童・生徒にとって、学習意欲を引き出す仕掛けとして利用しうる。しかし、実際に犬ぞり体験を教材として成立させるためには、犬の所有者をはじめとする地域との強い連携が必要となる。
 アラスカと同じく寒冷で広大な北海道において、犬ぞり体験学習は実践可能である。北海道においては、犬ぞりは地域に根ざした伝統的な慣習ではないため、学校教育のなかに取り入れる場合、動物介在教育、野外教育の一環として体育の教員が犬ぞり愛好家[1]を招聘することが必要となるだろう。現在、日本においても、日本動物病院協会(JAHA)が動物介在教育(animal assisted education)として、都市部の小学校を対象とした犬の学校訪問をおこなってきた(オンライン資料1)。犬ぞり体験はそうした取り組みを一歩進めた形で、 へき地の特性を生かした野外教育の手法として想定することができる。現在、日本では命の教育の大切さが説かれているが、犬にみずからの命を預け、森や荒原をともに旅する犬ぞりはそのような学習の教材として望ましいものであると考えられる。

竪穴住居
 フェアバンクス教育委員会のサイエンスフェアにおいて、アラスカ先住民社会で作られていた竪穴住居を題材とした展示があった。アラスカ南部のエスキモー社会、および一部のアサバスカン社会において、ロシア人やアメリカ人がログ・キャビンを持ち込むまで、土、草、苔を利用した竪穴住居が一般的であった。

サイエンスフェアの様子
 この展示を作成したのは、ジョン・ピンガヤック3世である。彼は祖父のジョン・ピンガヤック2世[2]に聞き取りをおこない、祖父の出身地においてカジキと呼ばれる竪穴住居[3]の模型を作成した。彼はこの学習をおこなう目的を「竪穴住居がどのような気候においても耐えることができるのかどうかを検証すること」であるとしている。また、導入部において、彼は竪穴住居の作り方を学ぶ意義を「石油燃料がなくなったとき、『私たちの昔ながらのやり方に戻るときが来るであろう』と私たちの古老が常に言っていた」と説明している。この生徒にとって、竪穴住居を作るやり方を学ぶことは単なる自文化学習を超えて、アラスカにおける将来の持続可能性を探る試みでもあったことは考慮に値する。
 いずれ、伝統的な生活様式に戻るときが来るかもしれないという言説は、アラスカ先住民社会全体に浸透している。例えば、ニコライ村においても、捕魚車[4]を作る活動の指導者となった古老は、なぜ、このような活動をおこなうのかと質問した際にはこうした言説を引き合いにだした。ニコライ村の捕魚車を作る活動は村の代表者からなる評議会によって主催されていたが、ジョン3世の展示はサイエンスフェアのためのものであった。この事例からわかることは、サイエンスフェアが厳密な意味での理科以外の展示も受け入れることによって、アラスカ先住民社会におけるニーズに沿う形での自主的な学習を促していることだ。
竪穴住居カジキの模型

カジキの断面図






 しかし、ジョン3世の自主学習の目的が竪穴住居の適応性を調べることにあったのにも関わらず、とくに検証可能なデータが示されていないことに私は疑問を感じた。 冒頭に示されていた目的を果たす上では、竪穴住居内の気温を測定したり、より本格的に作った模型に水をかけて漏水するかどうかを調べたりするなどの実験がおこなわれていれば、より興味深いものとなったであろう。この展示がどのような指導を受けて作られたのかは不明であるが、理科の素養をもつ教員の指導があれば、より一層、審査員の興味を引いたであろうことが想像される。
 サイエンスフェアの観覧を通して、私は日本の学校における自由研究や総合的学習との関連を考えた。北海道においても、アイヌ文化に関する自由研究は盛んにおこなわれていると考えられるが、社会科に近い地域文化学習と理科を組み合わせた自由研究の指導を更に検討する価値はないだろうか[5]。例えば、サケ学習にあわせて、サケのルイペ(冷凍魚を切って食するアイヌ料理)と野生のサケの切り身(未調理)のなかにいる寄生虫の数を比較する実験をおこなって、アイヌの人々のやり方がアニサキスなどの寄生虫対策となっていた可能性を検討する実験をおこなってもいいかもしれない。今や、国内・海外を問わず、学術界では学際的な研究の重要性が主張されない日はなく、私が所属するアラスカ大でも、文化人類学者と自然科学者の共同プロジェクト[6]や、先住民社会で流通する知識を生態学的研究に役立てる試みが数多くおこなわれてきた。地域文化学習を踏まえて問いを設定して、その問いに対して理科的な観点から検討する。そのような自由研究の指導をすることが当たり前になれば、日本の学術界においても学際的な研究がより盛んになるのではないかと考える。

参考文献
久保田亮  2005  「儀礼とダンスの断絶宣教師の活動をめぐるアラスカ先住民ユピックの歴史認識」『東北人類学論壇』4, 1-20.
近藤祉秋  近刊予定  「内陸アラスカにおける文化継承の試み:ニコライ村を事例として」『早稲田大学文学学術院文化人類学年報』9, ページ数未定.
Schneider, William  2012  On time Delivery: The Dog Team Mail Carriers. Fairbanks: University of Alaska Press.

オンライン資料
1.     日本動物病院協会ホームページ、「アニマルセラピー/CAPP活動」
最終確認日:2015329
2.     チバック村学校ホームページ、”Cup’ik Sod House”
最終確認日:2015329

3.    You Tube動画共有サイト、”Keeping Tradition” (Charlotte Bodak)
最終確認日:2015329


[1] 例えば、日本人犬ぞりレーサーとしては、カナダ・ホワイトホース在住の本多有香などが挙げられる。本多氏は、国際的な長距離犬ぞりレースであるユーコン・クエストとアィディタロッドに参加して、どちらも完走している。
[2] ジョン・ピンガヤック2世は、チュピック・エスキモーが住むチバック村の有名な伝統文化継承者である。彼は竪穴住居の再現プロジェクトに関わったことがあり、みずからのホームページでチュピック社会における竪穴住居について紹介している(オンライン資料2)。祖父がジョン2世であり、孫がジョン3世であるというのは、一見、不可解である。これはおそらく、生物学的に彼らは孫と祖父の関係であるが、社会的には、ジョン3世はジョン2世の養子となっているものと思われる。アラスカ先住民社会では、祖父母が孫の養育責任者となることは頻繁に見られる。
[3] 竪穴住居カジキについては、久保田2005: 3-4を参照。
[4] 捕魚車とは、川の流れを動力源として、魚を捕獲する水車状の捕獲機である。捕魚車を作るニコライ村の活動については、拙稿(近藤 近刊予定)および、国立公園局の夏期研修生によって作成された動画(オンライン資料3)を参照してほしい。
[5] 実は、ニコライ村において、そのようなサイエンスフェアの展示が過去にあった。ある二人の男子生徒は、トウヒとシラカバの木のうち、どちらが薪として価値が高いかという問いを設定した。というのも、村の古老がシラカバのほうがよりよく燃えると言っていたからである。彼らはシラカバとトウヒの薪をそれぞれ同じ量だけ集めたあと、それを燃やして得られた熱量を比較した。彼らの実験によれば、シラカバのほうがより多くの熱量単位を得られたのだという。
[6] 例えば、気候変動がタナナ川の氷にどのような影響を与えているかを探る研究では、文化人類学者が地元民に聞きとりをおこない、氷が薄くなっていて危険な箇所、安全に通行するための工夫などの情報を集める一方で、水文学者が川や氷に関してのデータを計測した。

3/22/2015

アィディタロッド長距離犬ぞりレース

冬のアラスカと言えば、オーロラですが、もうひとつの楽しみは犬ぞり!地元の人たちの間でも、犬ぞりレースは話題によくのぼり、有名選手はアラスカではセレブリティ並みの扱いを受けています。

そのなかでも、アラスカで最も有名なレースは、アィディタロッド長距離犬ぞりレース。アラスカの南部にあるアンカレジから北西部のノームまで、1600キロ以上を10数頭の犬たちが引く犬ぞりで走ります。

例年、3月の初旬にアンカレジでセレモニアル・スタートという、タイムには関係のないパレードのようなものを行ったあと、翌日少し離れたウィローという町から正式なスタートをします。今年はアラスカ南部で雪が足りず、選手が怪我をする恐れがあったため、例年通りアンカレジでセレモニアル・スタートを行った翌々日に、アラスカの内陸にあるフェアバンクスからの正式スタートになりました。

セレモニアル・スタートに集まった観客

私が通っている内陸アラスカの村は例年であれば、選手たちが通るポイントであるため、村人たちはボランティアとして選手たちを迎えます。今年のセレモニアル・スタートでは、その村出身の古老フィリップ・イーサイさん(故人)が名誉選手として顕彰されました。

ビーバーを解体するフィリップさん(2013年7月)

フィリップさんは1973年に大会が現在の長さになって以来の熱心なボランティアであり、マイナス30度の日にも欠かさず、トレイル整備作業に参加したそうです。また、彼の家族は、選手や訪問客のために、村から20キロ弱離れたキャンプで待機して、コーヒーや紅茶の飲み物の他、ヘラジカやビーバーのスープ、ときにはカナダオオヤマネコまで料理して振る舞っていました。私もフィリップさんの家族と一緒にカナダオオヤマネコを食べたことがありますが、味は鶏肉に近いような気がします。

カナダオオヤマネコの素揚げ
フィリップさんは2014年に亡くなってしまったため、今年の大会では彼の妻ドーラさんがゼッケン1番をつけて、先に行われたアィディタロッド・ジュニア選手権の優勝者が乗るそりに乗ってセレモニアル・スタートに登場しました。


出発前にドーラさんの家族と記念撮影


そろそろ犬ぞりシーズンも終盤ですが、実は今、私はフィリップさんを記念した、犬ぞりに関するラジオ特集の編集に関わっています。近々、フェアバンクスの小さなFMラジオ局からオンエア予定なのでまた時間を見つけて、記事を書こうと思います。

非常に気さくで、物知りで頼りがいのあるフィリップさんは私の大好きな先生でした。 彼の冥福をお祈りして、この記事を閉じようと思います。

3/21/2015

タナナ・チーフズ会議

久しぶりに投稿してみる・・・。

今週、タナナ・チーフズ会議(Tanana Chief's Conference)に参加した。もともと、内陸アラスカのアサバスカン・インディアンの代表者たちが集まって、ゴールドラッシュに湧く当時の白人社会の代表者に対して、彼らの伝統的な生活を守るための手段を講じるように要請したのが始まりである。1915年にその会合があり、今年は100回目の会議となった。https://www.tananachiefs.org/2015-tcc-annual-convention/

最近では、会議の様子がネット配信されていたり、会議専用のスマホのアプリがあったり、日本の田舎よりもはるかにデジタル化が進んでいるような印象を受ける。

今年の会議の個人的ハイライトは、キングサーモンの急激な減少に対する対策である。キングサーモンは、アサバスカン社会における重要な食料源である(ただし、高地で生活していた集団に関しては、他の魚類のほうが重要であり、低地に移動してからこの種を重要視するようになったという人類学者の議論がある)。 鮭の類いは、年によって遡上する量が異なるが、2010年あたりから遡上量がこれまでにないくらい減少してしまった。

原因としては、商業漁業における混獲(バイキャッチ)・大量捕獲、環境汚染などが挙げられているが、おそらく、複数の要因が重なりあっており、何かひとつの究極的な原因があるわけではなさそうである。そのなかで、商業漁業における混獲は規制を設けることで影響を最小限にすることができると考えられていることから、先住民の側は混獲に対する規制を設けることを州政府に対して働きかけている。しかし、思ったほどの成果があがっていないこともあり、人によっては商業漁業の会社が州政府に賄賂を渡しているのではないかと噂するものもいる(あくまで噂・・・)。

会議のなかの発言で、データ不足のせいでちゃんとした意志決定ができないから、自分たちで研究者を雇ったり、みずから調査を行うことで、州政府からのデータへの依存を断ち切るべきだという意見があった。人類学者の議論でたまに「近代科学の(唯物論的?)世界観」と「先住民の(神話的)世界観」が互いに相容れないものであるという主張を見かけるが、少なくとも、今のタナナ・チーフズ会議にはあまりあてはまらないものかもしれないと思った。

何にせよ、鮭の減少は日本にも関係があることでもあり、というか、アサバスカンの人たちは日本や中国の市場にむけた鮭の商業漁業が彼らの生存漁業に脅威を与えていると考えていることもあり、この問題については継続して書いていきたい。

9/29/2014

ワシーラ訪問

今週末は、アンカレジから車で1時間くらいのところにあるワシーラに行き、友達の家に泊まった。フェアバンクスからワシーラまでは、Alaska/Yukon Trailsを使う。夏の間だけフェアバンクスからアンカレジまでのバス(人が少ないときはシャトルバン)を運行をしている会社で、小さい会社のように見えたので少し心配していたが、ちゃんと時間通りに来たのでよかった。運転手さんは、普段は小学校のバスを運転している人で、夏の間だけこの会社でバイトしているという。フェアバンクスからワシーラまでで、99ドル。


 途中でHurricane Gulchという場所で休憩する。とても深い谷で、風が吹き抜けていた。


ワシーラに住む友人と一緒にエクルトナの正教会に行く。エクルトナは、ワシーラとアンカレジの間にある、デナイナ・アサバスカンの村であり、今年の夏、ここで大きなパウワウが開かれた。エクルトナの正教会は、grave houseが有名な場所。ロシア正教がデナイナ人たちに受け入れられたとき、埋葬したあとに小さな家を建てるのが習わしとなった。これはおそらく、土着の習慣がキリスト教的な埋葬方法と交わった結果であり、興味深い。この教会は観光スポットらしく、お土産屋さんもあったが、今回行ったときには閉まっていた。

エクルトナの墓地小屋
エクルトナの旧教会
エクルトナの教会。デナイナ語の看板もある。


  
この写真は、ワシーラの郊外に住む友人の家近くでイヌの散歩をしたときのもの。 まだ、紅葉が残っていてかなり美しい。秋の終わりであったが、ここ2、3日は暖かくて、過ごしやすかった。
 
ヘラジカの舌。もちろん食用

 猟期が終わったばかりということもあり、ヘラジカをたくさん食べる訪問となった。上の写真はヘラジカの舌。下の写真は、ヘラジカのアバラ骨をソースに絡めて、オーブンで焼いたもの。


ヘラジカのあばら骨
ヘラジカのアバラ肉と野菜炒め

ヘラジカのアバラ肉は本当に絶品。甘辛いソースととろけるような油が絶妙にからんで、高級なすき焼きを食べているような感覚さえした。 友人の親御さんは、元・調理師であり、いつも遊びに行くとおいしいご飯を食べさせてくれる。以前、私がよく行く内陸アラスカの村では、エルダー・ヌトリション・プログラム(古老への無料配食サービス)があって、連邦政府のお金を使って、猟師と調理師を雇っていたという。猟師たちはブッシュに出かけて行き、獲物を持ち帰り、それを調理師が調理する。友人の親御さんは、調理士として、ビーバーやヤマアラシなどの肉をどのようにおいしく調理できるものか悩んだのだという(ちなみに友人の親御さんは非—先住民)。

9/23/2014

ユピックの怪物① パルレイヤック

友人と話していて、興味深い話を聞いた。アラスカ南西部のユピック・エスキモー社会では、数多くの怪物が記録されているが、その中のひとつにパルレイヤック(Palraiyuk)というワニ、もしくは竜のようなものがいる。以前、アラスカが今よりも温暖な気候であったときがあり、その時期にはパルレイヤックが湖などの湿地に住んで、近づく人や動物を襲っていたのだという。現在の気候になってからは、この怪物は絶滅してしまったのだと1880年代のユピックの古老は述べている(Nelson 1983[1900])。アメリカの博物学者・民族学者エドワード・ネルソンによれば、この怪物の図像は、1880年代にはカヤック、ウミアックの船体に頻繁に描かれていたのだという。また、パルレイヤックを描いたと見られる遺物がクスコクイン川流域の遺跡から見つかっている(Fitzhugh and Kaplan 1982)。

ある研究者によれば、このパルレイヤックは中国の竜、インドのナーガがアラスカまで伝播したものと考えることができるかもしれないのだという(Fitzhugh and Kaplan 1982:182-183)。下の画像は、ある考古学者のブログから拾ってきた。前段落にユピック・エスキモーが乗るカヤックの船体にパルレイヤックが描かれていると書いたが、中国、ラオスなどのドラゴンボートと実は同じルーツだったなどと想像すると楽しい(が、どれほど民族誌学的に正しい推測なのかはわからない)。この図版を見ると、確かに中国の竜に似ている気がしないでもないが、他の遺物に描かれているパルレイヤックとおぼしきものを見ると、ただのワニに見えなくもない。出典は忘れたが、人間が蛇に対して抱く脅威は先天的なものであるという実験結果があるとどこかで読んだ。様々な社会で記録されている竜、蛇、ワニなどの爬虫類系の怪物は、歴史的な接触の結果でもあるだろうが、意外と類人猿との共通祖先ぐらいから保ち続けている恐怖心の産物かもしれないと根拠なく思ったりもする。ただ、このパルレイヤックは、おどろおどろしいというよりもどこかおしゃれな感じがする。正直、ファイナルファンタジーの中ボスになって出てきてもおかしくないような雰囲気。

パルレイヤックPalraiyuk
ちなみに、以前、アラスカ人類学協会の年会で会って仲良くなった考古学研究者が上記ブログの写真に映っていて、世界の狭さを感じた。自分が掘り出したものが19世紀の探検家の著書にある図版と同じだったら・・・やばい。

もう少しユピックの怪物について書きたいことがあったのだが、書いていたら話がどんどん脱線していき、収拾がつかなくなりそうなので明日くらいにまた書こう。ユピックなどのエスキモー・イヌイット社会の怪物と日本・中国などの妖怪・怪物を比べるとおもしろいのではないか。今、日本では妖怪ブーム(?)らしいので、意外と昔の探検家の記録、現在の民族誌家のデータ、博物館の展示品、遺跡で見つかる遺物、先住民工芸家の作品などから図版を集めて本とか作ると新鮮かもしれない・・・。やりたいことリストのなかに入れておこう・・・。というか、水木しげるだったら、アラスカの「妖怪」たちをどのように図像化するであろうか。

参考文献
William W. Fitzhugh and Susan A. Kaplan (1982) Inua: Spirit World of the Bering Sea Eskimo. Smithonian Institutional Press.
Edward W. Nelson (1983[1900]) The Eskimo About Bering Strait. Smithonian Institutional Press.

9/15/2014

大きな鳥と小さな鳥

ある年長の友人と話していて、ツルとツバメの物語が出てきた。彼は、内陸アラスカのヌラト村の古老からツバメはツルの背中にのって渡りをすると聞いたらしい。また、その友人によれば、北西海岸では、ツルがハチドリを背中にのせてあげるのだという。そう言えば、カナダ・ユーコン準州にある村で調査をしている友人も以前、ハチドリと大きな鳥が一緒に渡りをするという物語を聞いたことがあると言っていた。アラスカのユーコン川下流域の村に伝わる物語では、小さな鳥が最初、ハクチョウの背中にのせてもらおうとするが、ハクチョウは裏切って、鳥を食べてしまう。それから、小さな鳥はツルの背中にのせてもらうようになったという。

クスコクイン川上流域に住む私の友人にも、類似した話を語る者がいる。ここでは、確か、大きな鳥は小さな鳥を翼の下に入れて運ぶということになっている。捕まえたツルの翼の下に鳥の糞がついていたから、きっとこの物語は本当のことだろうという。ツルは善良な鳥であるが、ハクチョウは性格が悪いとも言われている。以前、見つけた鳥類学の文献によれば、ハクチョウは縄張り意識が強く、同じ種同士で争う以外にも、見た目が似ているユキガンを追い払うこともあるという(Burgess and Stickney 1994)。ハクチョウは性格が悪いという動物観は、人々が他の鳥に対して攻撃するハクチョウを観察したことによっているのではないかとも思う。

つがいのナキハクチョウ(2013年6月8日、アラスカ州クスコクイン川上流域北支流にて撮影)
参考文献:
Burgess, Robert M. and Alice A. Stickney (1994) Interspecific Aggression by Tundra Swans toward Snow Geese on the Sagavanirktok River Delta, Alaska. Auk 111(1): 204-207.