9/29/2014

ワシーラ訪問

今週末は、アンカレジから車で1時間くらいのところにあるワシーラに行き、友達の家に泊まった。フェアバンクスからワシーラまでは、Alaska/Yukon Trailsを使う。夏の間だけフェアバンクスからアンカレジまでのバス(人が少ないときはシャトルバン)を運行をしている会社で、小さい会社のように見えたので少し心配していたが、ちゃんと時間通りに来たのでよかった。運転手さんは、普段は小学校のバスを運転している人で、夏の間だけこの会社でバイトしているという。フェアバンクスからワシーラまでで、99ドル。


 途中でHurricane Gulchという場所で休憩する。とても深い谷で、風が吹き抜けていた。


ワシーラに住む友人と一緒にエクルトナの正教会に行く。エクルトナは、ワシーラとアンカレジの間にある、デナイナ・アサバスカンの村であり、今年の夏、ここで大きなパウワウが開かれた。エクルトナの正教会は、grave houseが有名な場所。ロシア正教がデナイナ人たちに受け入れられたとき、埋葬したあとに小さな家を建てるのが習わしとなった。これはおそらく、土着の習慣がキリスト教的な埋葬方法と交わった結果であり、興味深い。この教会は観光スポットらしく、お土産屋さんもあったが、今回行ったときには閉まっていた。

エクルトナの墓地小屋
エクルトナの旧教会
エクルトナの教会。デナイナ語の看板もある。


  
この写真は、ワシーラの郊外に住む友人の家近くでイヌの散歩をしたときのもの。 まだ、紅葉が残っていてかなり美しい。秋の終わりであったが、ここ2、3日は暖かくて、過ごしやすかった。
 
ヘラジカの舌。もちろん食用

 猟期が終わったばかりということもあり、ヘラジカをたくさん食べる訪問となった。上の写真はヘラジカの舌。下の写真は、ヘラジカのアバラ骨をソースに絡めて、オーブンで焼いたもの。


ヘラジカのあばら骨
ヘラジカのアバラ肉と野菜炒め

ヘラジカのアバラ肉は本当に絶品。甘辛いソースととろけるような油が絶妙にからんで、高級なすき焼きを食べているような感覚さえした。 友人の親御さんは、元・調理師であり、いつも遊びに行くとおいしいご飯を食べさせてくれる。以前、私がよく行く内陸アラスカの村では、エルダー・ヌトリション・プログラム(古老への無料配食サービス)があって、連邦政府のお金を使って、猟師と調理師を雇っていたという。猟師たちはブッシュに出かけて行き、獲物を持ち帰り、それを調理師が調理する。友人の親御さんは、調理士として、ビーバーやヤマアラシなどの肉をどのようにおいしく調理できるものか悩んだのだという(ちなみに友人の親御さんは非—先住民)。

9/23/2014

ユピックの怪物① パルレイヤック

友人と話していて、興味深い話を聞いた。アラスカ南西部のユピック・エスキモー社会では、数多くの怪物が記録されているが、その中のひとつにパルレイヤック(Palraiyuk)というワニ、もしくは竜のようなものがいる。以前、アラスカが今よりも温暖な気候であったときがあり、その時期にはパルレイヤックが湖などの湿地に住んで、近づく人や動物を襲っていたのだという。現在の気候になってからは、この怪物は絶滅してしまったのだと1880年代のユピックの古老は述べている(Nelson 1983[1900])。アメリカの博物学者・民族学者エドワード・ネルソンによれば、この怪物の図像は、1880年代にはカヤック、ウミアックの船体に頻繁に描かれていたのだという。また、パルレイヤックを描いたと見られる遺物がクスコクイン川流域の遺跡から見つかっている(Fitzhugh and Kaplan 1982)。

ある研究者によれば、このパルレイヤックは中国の竜、インドのナーガがアラスカまで伝播したものと考えることができるかもしれないのだという(Fitzhugh and Kaplan 1982:182-183)。下の画像は、ある考古学者のブログから拾ってきた。前段落にユピック・エスキモーが乗るカヤックの船体にパルレイヤックが描かれていると書いたが、中国、ラオスなどのドラゴンボートと実は同じルーツだったなどと想像すると楽しい(が、どれほど民族誌学的に正しい推測なのかはわからない)。この図版を見ると、確かに中国の竜に似ている気がしないでもないが、他の遺物に描かれているパルレイヤックとおぼしきものを見ると、ただのワニに見えなくもない。出典は忘れたが、人間が蛇に対して抱く脅威は先天的なものであるという実験結果があるとどこかで読んだ。様々な社会で記録されている竜、蛇、ワニなどの爬虫類系の怪物は、歴史的な接触の結果でもあるだろうが、意外と類人猿との共通祖先ぐらいから保ち続けている恐怖心の産物かもしれないと根拠なく思ったりもする。ただ、このパルレイヤックは、おどろおどろしいというよりもどこかおしゃれな感じがする。正直、ファイナルファンタジーの中ボスになって出てきてもおかしくないような雰囲気。

パルレイヤックPalraiyuk
ちなみに、以前、アラスカ人類学協会の年会で会って仲良くなった考古学研究者が上記ブログの写真に映っていて、世界の狭さを感じた。自分が掘り出したものが19世紀の探検家の著書にある図版と同じだったら・・・やばい。

もう少しユピックの怪物について書きたいことがあったのだが、書いていたら話がどんどん脱線していき、収拾がつかなくなりそうなので明日くらいにまた書こう。ユピックなどのエスキモー・イヌイット社会の怪物と日本・中国などの妖怪・怪物を比べるとおもしろいのではないか。今、日本では妖怪ブーム(?)らしいので、意外と昔の探検家の記録、現在の民族誌家のデータ、博物館の展示品、遺跡で見つかる遺物、先住民工芸家の作品などから図版を集めて本とか作ると新鮮かもしれない・・・。やりたいことリストのなかに入れておこう・・・。というか、水木しげるだったら、アラスカの「妖怪」たちをどのように図像化するであろうか。

参考文献
William W. Fitzhugh and Susan A. Kaplan (1982) Inua: Spirit World of the Bering Sea Eskimo. Smithonian Institutional Press.
Edward W. Nelson (1983[1900]) The Eskimo About Bering Strait. Smithonian Institutional Press.

9/15/2014

大きな鳥と小さな鳥

ある年長の友人と話していて、ツルとツバメの物語が出てきた。彼は、内陸アラスカのヌラト村の古老からツバメはツルの背中にのって渡りをすると聞いたらしい。また、その友人によれば、北西海岸では、ツルがハチドリを背中にのせてあげるのだという。そう言えば、カナダ・ユーコン準州にある村で調査をしている友人も以前、ハチドリと大きな鳥が一緒に渡りをするという物語を聞いたことがあると言っていた。アラスカのユーコン川下流域の村に伝わる物語では、小さな鳥が最初、ハクチョウの背中にのせてもらおうとするが、ハクチョウは裏切って、鳥を食べてしまう。それから、小さな鳥はツルの背中にのせてもらうようになったという。

クスコクイン川上流域に住む私の友人にも、類似した話を語る者がいる。ここでは、確か、大きな鳥は小さな鳥を翼の下に入れて運ぶということになっている。捕まえたツルの翼の下に鳥の糞がついていたから、きっとこの物語は本当のことだろうという。ツルは善良な鳥であるが、ハクチョウは性格が悪いとも言われている。以前、見つけた鳥類学の文献によれば、ハクチョウは縄張り意識が強く、同じ種同士で争う以外にも、見た目が似ているユキガンを追い払うこともあるという(Burgess and Stickney 1994)。ハクチョウは性格が悪いという動物観は、人々が他の鳥に対して攻撃するハクチョウを観察したことによっているのではないかとも思う。

つがいのナキハクチョウ(2013年6月8日、アラスカ州クスコクイン川上流域北支流にて撮影)
参考文献:
Burgess, Robert M. and Alice A. Stickney (1994) Interspecific Aggression by Tundra Swans toward Snow Geese on the Sagavanirktok River Delta, Alaska. Auk 111(1): 204-207.

9/14/2014

実習講義

今週末、北海道教育大学・釧路校の授業開発研究室のゼミ生、先生に向けて、一時間ほどの講義をした(でも、結局、議論は合計で2時間半ほど続いた)。釧路校では、毎年この時期にアラスカ実習を行い、アラスカの小学校を訪問して、教育に関する調査をしたり、文化交流をしたりしているのだという。その実習を手伝っている方にお声掛けをいただいて、自分の研究している村の生活・歴史について話した。

授業開発研究室のみなさんと
自分が講義で伝えたかったことは、「伝統」という言葉が、現在のアラスカ先住民村落において「生存」と結びつけられて語られることである。最近、「伝統」や「文化」を学校のカリキュラムにとりこむのは一種の流行であるが、そこで言われる「伝統」とは誰にとってのどのような「伝統」なのか?白人がゴールドラッシュの時期にもちこんだ捕魚車は、私が通っている村において、「生存のために必要なもの」であったから「伝統」の一部として理解されている。しかも、2013年夏には、その捕魚車の作り方を子どもたちに学ばせるプログラムがあり、村公認の「伝統」として捕魚車はノスタルジックな想起の対象となりつつある。

下のビデオは、2013年夏の「コミュニティ捕魚車」プロジェクトの様子を撮影したもの。作成者は、映像ジャーナリズム専攻で、国立公園局インターン(当時)をしていた方。インターンの一環として、村に1週間ほど滞在して撮影していた。なぜか、自分も結構、登場していて、恥ずかしい・・・。


講義後の議論で「なぜ、アラスカ先住民の人々は『生存』が大事だからと言って、そのような生業活動の復興・振興に強い興味をもっているのか」という質問が来た。これは、自分も興味深く思っている点であった。 ひとつの論点としては、アサバスカン・インディアンの古老たちは、100年以上の文化接触の結果として、白人の食料・機器を拒否するわけではないものの、今でも何かしらの不信感をいただいているのではないかという点。「近い将来、昔ながらの生活に戻らなければいけないかもしれない」という言葉を村人からも聞くし、現在・過去の文献を読んでもそのような言明をたまに見つける。「白人の食料がいつか来なくなるかもしれない。そうしたら、生き残れるのはわしらのような古老だけだ。ハッハッハ」、「子どもたちには『近代世界』で必要なすべを身につけてほしい。でも、『伝統』も役に立つ。不安定な世の中で、いつか戦争があるかもしれない。子どもたちが『伝統』的な生き方を知っていたら、外部世界から切り離されたとしても、生き残ることができる」。こうした古老たちの言葉から、アサバスカン社会における鍵概念としての「自己充足性」の重要性が見て取れる。

最近、北方の諸社会では、さまざまな文化復興の取り組みが行われている(e.g. アイヌの諸儀礼、イテリメンの言語保存活動)。講義後の議論で北海道の事情を聞いて、そうした周極的な視点から、内陸アラスカ先住民社会における「伝統」の動態を考える必要があるな、と改めて思った。

9/13/2014

カバノアナタケ Chaga

最近、アラスカではカバノアナタケがブーム中。カバノアナタケは、白樺の木に生える木質のキノコで癌に効くと言われている。医学的なエビデンスはどれくらいあるかは不明・・・。自分はキノコの専門家ではないので、この項の記述内容は保証なしで。

自分がよく行く先住民の村でも、白人からカバノアナタケについて聞いた古老たちがお茶を作って飲んでいる。伝統的には、このキノコは利用されてこなかったので、最近白人が使い始めたのがきっかけのようだ。アラスカ先住民の菌類利用も興味深いが、また今度の機会に。

カバノアナタケ Chaga mushroom(産地:アラスカ州メフラ付近 around Medfra, AK、撮影者:ブログ作者taken by me)
カバノアナタケは白樺の木の上に生えており、上の写真にあるように外側は黒か黄土色となっている。中は、黄土色で木質。これを見つけたあと、白樺の木を切り倒して、カバノアナタケを採取する。細かく崩して、それを煮出すとお茶ができる。癌に効くかどうかはわからないが、霊芝ウーロン茶の臭いがする。

カバノアナタケ茶の商品化

 フェアバンクスで知り合いの先住民工芸家を尋ねたときに、上の写真のような袋を見つけた。話によれば、大型スーパーチェーンがカバノアナタケ茶の商品化を考えているらしい(未確認情報)。この袋ひとつで確か20ドルくらいの価値があると言っていた。もし、これがほんとうに商品化されたら、白樺の伐採が進みそうな気がする・・・。

9/10/2014

黒曜石 obsidian

最近、友人が黒曜石製の遺物などの個人コレクションを見せてくれた。掲載許可をとったので、アップしてみる。

黒曜石製の尖頭器(?)Obsidian projectile point ?(産地:アラスカ州ヒーリー・レイク村周辺 Around Healy Lake, AK、Evelynn Combs氏の所有
この石器は、アラスカ州ヒーリー・レイクの地表から発見された。地層から発見されたわけではないため、考古学的な文脈については不明。素人目に見ても、丁寧に黒曜石を剥離した跡があり、美しい。ちなみに所有者は、現地出身者であり、付近の土地を所有する先住民組織の許可をとって、この遺物を保管しているのだという。部外者がこのような遺物を見つけた場合は、発見場所を荒らさないようにして、できるかぎり早くアラスカ大学フェアバンクス校の北方博物館に連絡するのが望ましいという。

黒曜石製の小型石像 Obsidian small figurine(産地:アラスカ州コッツビュー湾周辺 Around Kotzbue Sound, AK、 Glen Simpson氏の所有


所有者いわく、この小型石像はグリズリーベアをかたどったものではないかとのこと。エスキモー社会における狩猟・捕鯨などの狩猟呪術と関係があるかもしれないという。これも友人の手を経て、現在の所有者のところにもたらされたものなので、どのような文脈かはよくわからない。もしかしたら、結構、最近の物である可能性もなきにしもあらず。

ラクダ?の顎骨(産地:アラスカ州?、Evelynn Combs氏の所有、鑑定者は不明)
こういう遺物を見ていると、アラスカの考古学研究も少し趣味程度に勉強してみたくなってくる。動物考古学とか、かなり熱い!実際に狩猟採集民を扱うという意味では、今の自分の研究と同じ分野であるから、ちゃんと勉強してみようかな・・・。

9/09/2014

猟期 Hunting season

アラスカでは、9月は猟期。先週末の土曜日、午後10時頃、フェアバンクスでも北東にある山のほうからライフルの音が聞こえた。きっと、ヘラジカをねらっている人だろう。ヘラジカの味はどうですか?とたまに聞かれるが、これは本当に美味だと思う。少し獣くさい気もするし、脂肪のかたまりは噛み切れないことも多い。けど、たんぱくな感じのヘラジカ肉には独特の風味がある。日本の鹿肉とも似ていないこともないけど、同じ鹿だからという先入観かもしれない。次、食べたときに食味についてよく考えてみよう。

下の写真は以前に作ったヘラジカ・カレー。豚汁ではなく、「ムース汁」なるものを作った人がいると、ウィキペディア(ヘラジカの項)に書いてあったが、ちょっと対抗してみた。カレーにすると、獣くささがカバーされて(そもそも、そんなにきつい臭いではないが)、肉のうまみが引き立つ気がする。いつか、アサバスカン風ヘラジカ・スープのレシピ(?)を時間があるときに書いておこう。

ヘラジカ・カレー

先住民の人たちと狩猟にいくときは、早朝(朝5〜6時)、夕方(午後5時くらい)、夜(8〜10時)に出猟することが多い。実際、この時間帯になると、ボートで川を移動しているだけでも、ヘラジカに何度も出会う。一頭からたくさんの肉がとれることもあり、できるだけ川に近いところで狩猟すると、後で大量の肉を運び出すときに楽。あと、先住民の猟師たちは、ヘラジカをしとめたあと、1時間半ほど待つと肉の味がよくなると言っていた。

 ヘラジカは生存狩猟、スポーツ狩猟の両方にとって重要な種である。現在、アラスカの各地でヘラジカの頭数が減っていることが問題となっている。原因には諸説あるが、ひとつの説としては、クマや狼などの捕食者が増え過ぎて、ヘラジカをたくさん食べているからだという。そのため、アラスカ州の狩猟・漁撈局では、ヘリコプターを使って、クマを見つけて上空から射殺する「捕食者管理プログラム」をおこなっているとどこかで読んだ記憶がある。

今年は猟期の調査にいけない。残念・・・。

9/08/2014

天然銅 native copper

最近、知り合った友人が天然銅の塊を見せてくれた。冶金学をアラスカ大学で教えていた人で、今は引退して、悠々自適の生活をしているおじいさん。もともと、カナダの北西準州のアサバスカンの人々が住んでいた村出身で、フェアバンクスに50年前ほどに大学進学のために来たという。
Someone I met recently showed me a chunk of native copper from Canada. He used to teach metal smith in Fairbanks.

天然銅の塊(産地:カナダ)native copper from Canada

緑色に見えるのは緑青だろうか?写真だと見えづらいが、緑色の部分から銅色の部分が透けてみえる。この塊自体は、カナダで金鉱堀りをやっていた知人からもらったものだという(正確な産地は不明)。おじさんが育った北西準州の村でも、天然銅が採れて、アサバスカンの人々は沿岸のクリンギット社会と交易するときに、銅を交易品としていたという。実際に、大昔には鏃や槍を天然銅で作っていたとも言っていた。おじさん情報によれば、カナダ・ユーコン準州のクルアネ湖で操業していた金鉱夫は、金を探すときに副産物として5つの銅製鏃を見つけたという。こうしたものはちゃんと遺物として考古学者に報告されているのだろうか?
 This piece comes from his friend, a Canadian gold miner, and my acquaintance is not entirely sure where it comes from. In an Athabascan village in Northwest Territoty, Canada, where he grew up, native copper was in high demand as trade goods. Coastal Tlingit people wanted it, so Athabascans in Interior gathered it for trade. Also, according to my acquaintance, a gold miner who operated around Kluane Lake, Canada, found 5 copper arrowheads when he was trying to find gold.

9/07/2014

【フェアバンクス】シャンダラー牧場

最近、シャンダラー牧場(Chandalar Ranch)というホステル/オーロラ観測スポットに行ってきた。3年間、アラスカに住んでいるものの、ちゃんとした観光はあまりしたことがなく、アラスカ観光の研究(?)も兼ねて・・・という言い訳。



『歩き方』にも載っているこのホステルは、セントローレンス島(アラスカ西部、というかほとんどロシア)出身のユピックのおばあちゃんと白人の旦那さんが 切り盛りするところで、アットホームな雰囲気。旦那さんは当時、キーナイ(アラスカ南部)に釣りにいっており、自分が滞在したときにはおばあちゃん、息子さん、中国人の奥さん、お孫さん、居候のかた、お孫さんの友人などがいた。牧場と名はついていて、実際に馬を数頭みたけど、ホステルの人のではなくて、友人の馬を世話しているとのこと。

おばあちゃんは親日家。「あなたたちの文化(日本文化)は、私たちの文化(ユピック・エスキモー文化)と同じで、敬意を払うってことを知っている」。昨年、研究関係の長期セミナーでカナダのイヌイットの古老と学校教師と会ったときに、「私たちは、人が聞いていないところで、日本人を私たちのイトコと呼んでいるのよ」と言われたことを思い出した。ここのおばあちゃんも、カナダ・イヌイットのおばあちゃんも、どこか日本人(東アジア人)ぽい。観光を通じた、日本人とイヌイットのミクロな友好関係。

どこに行っても、食べ物の話しは盛り上がる。これは、水鳥の卵。海岸の崖沿いに水鳥の巣があり、そこから卵を失敬して、食料としていたという。どの鳥だろう?先住民の料理とか味見できるのではないかと期待していたが、とくにそのような機会はなかった。以前、別のユピックの友人が作ったエスキモー・アイスクリーム(アグータック)を食べたことがある。多くの白人は、ゆでた魚の身に食用油、大量の砂糖を混ぜて、粘り気がでるまでかき混ぜたあとに、ベリーをのせたものを食べることにとても抵抗があると言っていたが、個人的な感想としてはしっかり冷凍したものは普通に美味。とけると少し魚くさいが、別に食べれないことはない。





午後10時ごろになると、オーロラガイドがお客さんを引き連れてやってくる。このホステルは、 オーロラ観測スポットでもある。8月後半からオーロラが見えるようになるため、毎日、20人くらいのお客さんがやってきていた。3晩のうち、少しであれば、毎晩見ることができた。やはりコツは、忍耐強く待つこと。ずっと曇っていたときでも、15分の間に雲が流れて、きれいなオーロラが姿を表すこともあった。

ちなみに写真のおじさんは、少し怪しげなオーロラガイド。6歳からフープダンサー、音楽家として旅を続け、40歳から10年間、内陸アラスカの村で先住民の人々とともに自給生活を送っていたのだという。前にこのおじさんがパウワウでしゃべっているのを見たことがあったが、フープダンスの実演を見るのははじめて。あと、おじさん撮影、おじさん主演の狩猟ビデオは、いろいろな意味で秀逸。このおじさんが住んでた村に行ったことがあるが、自分ではなくて、現地の人に語ってもらえばよいのにという思いを禁じ得ない。もうひとり、ガイドの人がお客さんを連れてきていたが、その人はアラスカ大学の生態学的な調査を手伝っているらしい。