9/14/2014

実習講義

今週末、北海道教育大学・釧路校の授業開発研究室のゼミ生、先生に向けて、一時間ほどの講義をした(でも、結局、議論は合計で2時間半ほど続いた)。釧路校では、毎年この時期にアラスカ実習を行い、アラスカの小学校を訪問して、教育に関する調査をしたり、文化交流をしたりしているのだという。その実習を手伝っている方にお声掛けをいただいて、自分の研究している村の生活・歴史について話した。

授業開発研究室のみなさんと
自分が講義で伝えたかったことは、「伝統」という言葉が、現在のアラスカ先住民村落において「生存」と結びつけられて語られることである。最近、「伝統」や「文化」を学校のカリキュラムにとりこむのは一種の流行であるが、そこで言われる「伝統」とは誰にとってのどのような「伝統」なのか?白人がゴールドラッシュの時期にもちこんだ捕魚車は、私が通っている村において、「生存のために必要なもの」であったから「伝統」の一部として理解されている。しかも、2013年夏には、その捕魚車の作り方を子どもたちに学ばせるプログラムがあり、村公認の「伝統」として捕魚車はノスタルジックな想起の対象となりつつある。

下のビデオは、2013年夏の「コミュニティ捕魚車」プロジェクトの様子を撮影したもの。作成者は、映像ジャーナリズム専攻で、国立公園局インターン(当時)をしていた方。インターンの一環として、村に1週間ほど滞在して撮影していた。なぜか、自分も結構、登場していて、恥ずかしい・・・。


講義後の議論で「なぜ、アラスカ先住民の人々は『生存』が大事だからと言って、そのような生業活動の復興・振興に強い興味をもっているのか」という質問が来た。これは、自分も興味深く思っている点であった。 ひとつの論点としては、アサバスカン・インディアンの古老たちは、100年以上の文化接触の結果として、白人の食料・機器を拒否するわけではないものの、今でも何かしらの不信感をいただいているのではないかという点。「近い将来、昔ながらの生活に戻らなければいけないかもしれない」という言葉を村人からも聞くし、現在・過去の文献を読んでもそのような言明をたまに見つける。「白人の食料がいつか来なくなるかもしれない。そうしたら、生き残れるのはわしらのような古老だけだ。ハッハッハ」、「子どもたちには『近代世界』で必要なすべを身につけてほしい。でも、『伝統』も役に立つ。不安定な世の中で、いつか戦争があるかもしれない。子どもたちが『伝統』的な生き方を知っていたら、外部世界から切り離されたとしても、生き残ることができる」。こうした古老たちの言葉から、アサバスカン社会における鍵概念としての「自己充足性」の重要性が見て取れる。

最近、北方の諸社会では、さまざまな文化復興の取り組みが行われている(e.g. アイヌの諸儀礼、イテリメンの言語保存活動)。講義後の議論で北海道の事情を聞いて、そうした周極的な視点から、内陸アラスカ先住民社会における「伝統」の動態を考える必要があるな、と改めて思った。

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